No.1
巣鴨 とげぬき地蔵尊
(都電 庚申塚停留所から歩いて5分)
- 2000年正月のにぎわい
- とげぬき地蔵の正式名称は、曹洞宗万頂山高岩寺です。慶長3年に開創し、明治24年にこの地に
- 移転してきました。
- 縁日は毎月4日、14日、24日です。この日ばかりは、都電の庚申塚停留所や、JR巣鴨駅は、
- おじいさんやおばあさんの団体で、満員電車なみの混雑になります。
- 日本を支えてきた先輩達に感謝。
- これが有名な、とげぬき地蔵の洗い観音様
- 昔はタワシでゴシゴシ洗っていたが、磨耗してしまったため、
- 2代目になってからは、タオルでこするように改められました。(合掌)
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- ここで自分の体の調子の悪い所をタオルでこすって、その後、お祈りしましょう。
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- とげぬき地蔵尊の縁起
曹洞宗高岩寺(とげぬき地蔵尊)は、400年前(慶長元年1596年)湯島に開かれ、60年後下谷屏風坂に移り、
明治24年、区画整理のため、ここ巣鴨に移転した。本尊は「とげぬき地蔵」として知られる、延命地蔵菩薩である。
正徳三年(1713年)5月、江戸小石川に住む田付という人の妻が、日頃地蔵尊を信仰していたが、男の子を出産して
後、重い病に見舞われて床に臥し、ますます病は進行し手足は「細き竹のごとく」やせてしまった。
医者が手をつくしたが、一向に良くならず夫人も「私の家には怨霊があって女はみな25才までしか生きられないと
聞いています。姉も25才でなくなりました」といいだすしまつであった。
田付氏は、妻が信仰する地蔵尊におすがりするほかはないと、毎日一心に病気平癒の祈願を続けた。
ある日、夢の中で黒衣に袈裟をかけた一人の僧が現れ、「私の像を1寸3分に彫刻して川に浮かべなさい」という。
田付氏はそれは、急には成しがたいと答えると、「ではあなたに印像を与えよう」といわれ
夢からさめた。不思議な夢とふと枕元を見ると、何か木のふしのようなものが置いてある。
それを良く見るとそれは、「彫ったものでも書いたものでもない」不思議な地蔵菩薩の御影であった。
田付氏は命の通り、これを印肉にしめして、宝号を唱えつつ一万体の御影を作り、両国橋に行き、一心に
祈願しながらこれを川に浮かべた、さてその翌朝、病床の夫人の呼ぶ声がに急いで行ってみると
「今、枕もとに死魔が現れましたが、錫杖を持った黒衣のお坊さんが、錫杖を使って外にドンと
突き出してしまわれるのを見ました。」と告げた。田付氏は、霊験に我を忘れていたが、あれほど重かった
夫人の病は日一日と快方に向かい、その年の11月には床をはなれることが出来、以後夫人は無病になったという。
田付氏がこの霊験の話を山高という人の家でしていると、一座の中に毛利家に出入りする西順という僧がいて
ぜひその御影を頂戴したいという。そこで田付氏は2枚与えた。正徳5年のある日この毛利家の女中の一人
があやまって口にくわえた針お飲み込んでしまった。女はもがき苦しむが医者も手の施しようがない。
そこで西順が来て、「ここに地蔵尊の尊影がある。頂戴しなさい」といって一枚を
水で飲ませた。すると間もなく、女は腹中のものを吐き、きれいな水で洗っていると。その中に、
飲込んだ針が、地蔵尊の御影を貫いて出てきたという。
これが、亨保13年(1728年)7月17日、田付又四郎氏が、みずから記して、高岩寺に献納された霊験記である。
(私も、一度御影を飲んだことがあります。風邪の後がなかなかなおらず、2週間ほど調子が元に戻らない時、
これ以上、薬を飲み続けてもしかたがない時、やもうえず御影を飲んだところ、翌日には、完全に元に戻りました。
病気はまさに気からといいますが、やはり、何か自分を暗示にかけて、結果として直してしまう効果があるようです)
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とげぬき地蔵尊 高岩寺
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